舞鶴市

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概要

舞鶴市は,その豊かな歴史と伝統を持つ地域である.古代から中世にかけて,戦略的な海上交通の要衝として栄え,江戸時代には幕府直轄の軍事拠点および交易の中心地として重要な役割を果たした.明治以降の近代化の波に乗り,港湾施設の整備や産業の発展が進むとともに,急速に都市としての体裁を整えた.第二次世界大戦後の復興により,独自の文化と歴史を守りながら新たな発展を遂げ,今日では多様な文化・経済活動が融合する現代都市へと変貌している.市内には歴史的な建造物や文化遺産が点在し,これらは市民にとって誇り高い伝統の証として保存・継承されている.また,教育や観光を通じてその歴史を未来へ伝える取り組みも盛んであり,舞鶴市は地域の持続可能な発展と共に,歴史と現代が調和した魅力的な街として国内外から注目されている.

舞鶴市は,豊かな自然環境が特徴で,海と山に囲まれた地理的条件を有している.北側は日本海に面しており,温暖な気候と潮流の影響を受ける独特の生態系が広がる.また,内陸部には緩やかな丘陵地帯や森林が広がり,四季折々の美しい風景を楽しむことができる.


目次


五老ヶ岳公園

五老ヶ岳公園(舞鶴市)は海抜約300メートルの五老ヶ岳山頂に位置する自然公園である.園内には高さ50メートルの展望塔「五老スカイタワー」がそびえ,展望室は海抜325メートルの地点にあり,舞鶴湾を始めリアス式海岸の美しい絶景を360度見渡すことができる.その眺望は,昭和60年に行われた「近畿百景」で第1位に選ばれるほど評価が高い.

公園は「頂上広場」「ナホトカ広場」「こども広場」「もみじ広場」「松の広場」といったエリアに分かれており,展望塔付近には複合遊具を備えた子供向け広場や屋根付きベンチがあり,家族連れでも安心して訪れることができる.松の広場やもみじ広場ではアカマツモミジが植えられ,四季折々に違った表情を見せ,特に紅葉や春の新緑,冬の雲海などが訪問者を魅了する.

歴史的には,五老スカイタワーは1995年に竣工し,以来,展望カフェ「GORO SKY CAFE nanako」や望遠鏡などの設備が整備され,元旦の初日の出や秋の雲海観察などのイベントが行われている.

現在の五老ヶ岳公園は,絶景展望地として地元住民や観光客に親しまれている.公園内の遊歩道は尾根沿いに整備され,散策やピクニックにふさわしい環境が整っており,タワーだけでなく頂上の展望広場からも十分な景色を楽しめる.天候に恵まれれば,大江山方面にまで視界が届き,鬼伝説を思わせる幻想的な風景を感じることもできる.

五老ヶ岳公園
五老スカイタワーからの景色(Photo by Sea of Japan. CC BY-SA 3.0. ref.Wikipedia

舞鶴自然文化園

舞鶴自然文化園は,京都府舞鶴市の東北部,大浦半島の豊かな自然に囲まれた園地である.旧西武農場跡地に整備された約34.7ヘクタールの広大な敷地には,春のツバキ園,初夏のアジサイ園,秋の紅葉園が設けられており,季節ごとに色彩豊かな景観を楽しめる.

春には約1,500種・3万株のツバキが咲き誇り,多種多様な花色が園内を彩る.まさに日本屈指のツバキの名所とされ,多くの来園者が「ツバキまつり」を楽しむ.さらに初夏には約100品種・10万株におよぶアジサイが広々とした谷間に咲き乱れ,「あじさいの海」と称されるほどの圧巻の光景を生み出す.いずれも6月中旬から7月上旬にかけて開園され,色とりどりの花々が訪れる人々を魅了する.秋には紅葉園が開かれ,モミジやカエデイチョウなどが真紅の海のように園内を染め上げ,晩秋の風情を存分に味わうことができる.

園内には散策路やベンチも整備され,家族連れや散策目的の人々がゆったりと自然とふれあえる環境が整っている.Instagramなどでは愛犬との入園も歓迎との投稿が見られ,ペット連れでの訪問にも配慮されている.

舞鶴自然文化園
舞鶴自然文化園(Photo by ぱむ. CC BY-SA 3.0. ref.Wikipedia

舞鶴港遊覧船

舞鶴港遊覧船は,舞鶴湾内を約35分かけて巡るクルーズである.赤れんがパークにある桟橋を拠点とし,団体はもちろん個人も予約可能で,春から冬まで(土日祝・GW・お盆など)の運航が基本だが,冬季も火・水曜を中心に運航される場合がある.

遊覧船では,海上自衛隊舞鶴基地に停泊する護衛艦掃海艇輸送艦などを間近に見学でき,リアス式海岸の地形や造船所,クレインブリッジなど,海軍ゆかりの港景観が船上から楽しめる.

この遊覧船は単なる海上観光にとどまらず,かつての海軍港としての歴史と現代の自衛隊艦船を船上から眺められる,舞鶴の“海の顔”を体感できる貴重な体験である.家族連れ,歴史愛好者,写真・映像ファンにとっても魅力の深いスポットである.

舞鶴港遊覧船
舞鶴港遊覧船(Photo by ぱむ. CC BY-SA 3.0. ref.Wikipedia

田辺城跡

田辺城跡(舞鶴公園)は,戦国末期の1582年,細川藤孝(幽斎)が隠居城として築いた平城であり,その後約290年にわたって丹後各氏の居城として存在した.元は「舞鶴城」とも呼ばれ,この名称が現在の舞鶴市名の由来ともなっている.

関ヶ原の直前,幽斎と500余人の守備隊は西軍・石田三成軍(一万五千)に包囲されながら約52日間籠城した.しかし幽斎が持っていた『古今和歌集』口伝の秘伝を後陽成天皇に献上し,その返礼として天皇の勅命によって包囲が解かれ,幽斎は開城・退城するというドラマチックな逸話を残している.

明治六年(1873年)の廃城後,本丸跡地は市民の憩いの場「舞鶴公園」として整備され,1992年に復元された城門(二階は田辺城資料館)や,1940年に建設された隅櫓・彰古館(現在は資料館)などが往時をしのばせる.資料館では幽斎をはじめ歴代城主の資料や城下町の復元模型,甲冑・刀剣を展示しており,歴史の息づきを感じさせる.

園内には石垣の遺構,復元された井戸,天守台跡,さらに幽斎の和歌に基づいて名付けられた「心種園」などが点在し,春には桜の名所としても知られている.また,近年の発掘調査により戦国期の虎口(防御設備)や石垣の遺構が新たに確認され,城郭の規模や構造への理解が進んでいる.

田辺城跡
田辺城(Photo by Asturio Cantabrio. CC BY-SA 4.0. ref.Wikipedia