亀岡市

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概要

亀岡市は,古来より交通の要衢として栄えた街である.古代においては,山と川に囲まれた好立地が,その自然の恵みを享受する基盤となり,地域住民にとって生活の中心地であった.戦国時代には,周辺各勢力の抗争の一端を担い,その地形と戦略的な位置がしばしば軍事上の要衝として利用された.江戸時代には,宿場町として商業と文化が隆盛し,文人墨客や交易商人が行き交うと同時に,伝統行事や祭礼を通して豊かな民俗文化が醸成された.近代に入ると,産業の発展とともに伝統と革新が融合し,歴史の重みを背景に,新たな文化と地域活性化の道が模索される街としてその姿を現している.

亀岡市は,京都府北部に位置し,その地形は豊かな自然環境と歴史的背景が融合したものである.周囲を山々に囲まれ,清流が流れる地域は,四季折々に変化する美しい風景を形成している.また,平坦な農地が広がる地域では,古くから水資源を生かした農業が盛んであったことが歴史的にも伝わる.


目次


保津峡

保津峡(亀岡市)は,京都府亀岡市から京都市右京区嵐山・渡月橋に至る保津川渓谷に広がる景勝地であり,変化に富んだ渓谷美と歴史・地形的価値を併せ持つスポットである.まず地理的には,約200万~500万年前の隆起沈降によってかつての亀岡湖が形成され,その後の浸食により深く切り立つ峡谷へと姿を変えたもので,25メートルにも達する岩壁や奇岩が続く壮観な地形を見せている.

江戸時代初期,1606年に角倉了以によって木材などの輸送を目的とした舟運の開削が行われ,急流と巨岩が交錯する中に高瀬舟が舞うようになった.明治28年(1885年)には遊覧船による観光保津川下りが始まり,以後,水運からレジャーへとその歴史を刻むようになった.小説家夏目漱石三島由紀夫ら多くの文人がこの景観に魅了され,文学作品の舞台としても登場している.

保津峡は四季それぞれに美しさを見せる.春には約2,000本ものヤマザクラソメイヨシノが谷を彩り,その桜のトンネルは遊覧船でもトロッコ列車でも楽しめる風景となる.初夏の新緑,6月にはイワツツジが岩肌に可憐な花を咲かせ,秋はモミジカエデイチョウが峡谷を真紅に染め,紅葉シーズンは11月中旬から12月上旬が見頃である.

観光手段としては,川下りは亀岡から嵯峨嵐山まで約16kmを船頭が操る手漕ぎ舟で2時間かけて下るコースで,スリルと景観を同時に味わえる体験である.トロッコ嵯峨野観光鉄道の観光列車も沿線に沿って7.3kmを走り,車窓から渓谷美を楽しむことができる.

保津峡
保津峡(Photo by Laichuan Yinfu. CC BY-SA 3.0. ref.Wikipedia

穴太寺

穴太寺は京都府亀岡市曽我部町の小高い地に立つ天台宗の古刹で,正式には菩提山穴太寺という.創建は伝承によれば慶雲2年(705年),文武天皇の勅願により大伴古麻呂によって薬師如来を本尊として開かれたとされる.のちに聖観世音菩薩を迎えて西国三十三所第21番札所となり,鎌倉時代には一遍上人が滞在し,室町期には幕府から所領を賜るほどに信仰を集め,地域の中心的霊場となって繁栄した

地理的には,穴太寺は保津川の渓谷と亀岡盆地の中間に位置し,「奥嵯峨への入り口」とも称される場所にある.谷間の穏やかな高台には小川と緑が調和し,訪れる人々に静謐と安らぎを届ける環境が整っている.

境内には江戸時代中期に再建された仁王門,本堂,多宝塔,円応院などが立ち並び,特に本堂(享保20年再建)は桁行梁行5間の大規模な入母屋造で,格天井に彩られた美しい花鳥画が目を引く.多宝塔(1804年再建)は四方柱上に四天王や四象の彫刻を施し,堂宇全体が京都府指定文化財に登録されている.

穴太寺の最大の見どころは「身代わり観音」と「撫で仏」の二つの霊像である.本堂に秘仏として祀られる聖観音像には,平安末期の『今昔物語集』や『扶桑略記』に収録される伝説がある.郡司・宇治宮成が名馬の褒美を取り返すため仏師を矢で撃ったところ,仏師は無傷で,代わりに観音像が矢を受け胸に刺さっていたという物語で,この観音が加害者と被害者双方を救った慈悲深い存在として信仰されてきた.また,明治29年に本堂の天井裏から発見された木造釈迦涅槃像は等身大で「撫で仏」として有名.病気の患部と同じ場所を撫でると治癒の力が授かるとされ,今も多くの人々がそっと手を当てて祈る.

庭園も穴太寺の魅力の一つであり,江戸時代中期に行廣上人が造営した池泉鑑賞式で多宝塔を借景として取り込む設計が施された.円応院前の庭は京都府の名勝に指定され,夕景や四季折々の自然美と調和した佇まいが訪れる者の心を静める.

また,宇治宮成の墓や念仏堂,地蔵堂などの堂宇が点在し,境内自体が歴史の積層を今に伝える空間となっている.昭和43年に聖観音像が盗難に遭うなど波乱もあったが,その信仰は失われることなく続き,寺域のお堂や庭園は丹波地方における文化財としての価値も高く評価されている.

穴太寺
穴太寺 多宝塔(Photo by 663highland. CC BY 2.5. ref.Wikipedia

鍬山神社

鍬山神社(くわやまじんじゃ)は,京都府亀岡市上矢田町に位置する古社で,和銅2年(709年)に創建されたと伝わる.御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと,別名・大国主命)および誉田別命(ほむたわけのみこと,応神天皇)であり,とりわけ大己貴命は丹波国を開拓した神として親しまれている.

創建の由来は,かつて亀岡盆地の南端一帯が「丹の湖」と呼ばれる泥沼状の湖であったとき,大己貴命と八柱の神々が鍬や鋤を使って峽谷を切り開き,そこから水を保津峡へ流し出して肥沃な水田地帯を築いたという伝説に基づくものである.その際に使用された鍬が山のように積まれたとされ,「鍬山」という社名の由来となった.

地理的には面降山(おもこうやま)の東麓に鎮座し,亀岡盆地と保津峡をつなぐ丘陵地帯にある.境内には「鍬山宮」と「八幡宮」の二つの本殿が並び,いずれも京都府の登録文化財として登録されている.周囲には約1,000本もの紅葉樹が植えられており,秋には境内全体が真紅に染まる景観が訪れる人々を魅了する.

歴史的には延喜式神名帳に「丹波国桑田郡鍬山神社」と記載され,式内社として古くから格式が高く,地元の開拓や農耕の守護神として尊崇されてきた.伝承には源頼政の関与や古くからの神田(八田)を管理した記録もある.

また,神社は「あかもみじのトンネル」と呼ばれる紅葉の名所として知られ,11月上旬から中旬にかけてライトアップも行われ,詠嘆を誘う秋景色が名物である .訪れる参拝者は朱の鳥居をくぐり,苔むす石段を紅葉の海に包まれて進む,その神聖かつ静謐な雰囲気を味わえる.

鍬山神社
鍬山神社(Photo by Saigen Jiro. CC0. ref.Wikipedia

出雲大神宮

出雲大神宮は京都府亀岡市千歳町に鎮座し,式内社・名神大社に数えられる丹波国一宮である.創建は和銅2年(709年)と伝えられ,本殿は鎌倉時代に建築され,足利尊氏らの修造が施された国の重要文化財である.

祭られているのは縁結びの神として知られる大国主命とその后・三穂津姫命であり,古来より「元出雲」「千年宮」として親しまれてきた.そのご神体は背後の御影山(千年山)であり,岩や水が“気”を宿す霊地とされ,精力的な信仰対象となっている.

地理的には亀岡盆地の北東,保津川に近い山裾にあり,穏やかな谷に包まれる静寂な環境に位置する.境内には千年宮鳥居や社名碑,敷地内の泉から湧き出る霊水「真名井の水」が設けられ,参拝者はこの名水を汲みに列をなすほど人気がある.

出雲大神宮には多彩な逸話がある.鎌倉時代の『徒然草』236段に「丹波に出雲といふ所あり,大社をうつしてめでたくつくれり」と記され,その歴史は少なくとも鎌倉期まで遡る.また『丹波国風土記』には和銅年間に祭神が島根・杵築(きづき)へ遷座されたともあり,出雲大神宮と出雲大社の関係は謎に包まれている.

社内には縁結びの象徴である「夫婦岩」や,さまざまなご利益を祈る摂社群もあり,毎月第4日曜には「えんむすびまつり」が開催され,赤い糸を結ぶ儀式などが行われる.女性を筆頭に縁結び祈願に訪れる参拝者は絶えない.

また,真名井の水は古代の石灰岩層を通じて湧く名水とされ,健康・長寿の水ともいわれ,病気平癒や延命を願う人々に支持され,ポリタンクを手に訪れる人も多い.

出雲大神宮
出雲大神宮(Photo by Saigen Jiro. CC0. ref.Wikipedia